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Rocky's eye No15 「陰謀を勝ち抜く民族」

世界中の海軍軍人に尊敬されている東郷平八郎元帥の墓と銅像がある多賀山は、今でも鹿児島に立ち寄る多くの外国人海軍士官の表敬地となっています。ここでは毎年5月27日の海軍記念日には、海上自衛隊はじめ多くの関係者が、最大級の国難であった日露戦争を勝利に導いた軍神に手を合わせ感謝の心を伝えます。

司馬遼太郎の『歴史を紀行する』には、薩摩からなぜ多くの偉人が輩出されたかは、桜島と錦江湾を当たり前の如く頂くここの風土にあると書かれてありますが、東郷元帥の銅像がある多賀山公園からは、その真っ青な錦江湾が眼下に広がり、4キロ先の対岸には力強い噴煙をもくもくと上げ続ける桜島が目の前に迫ります。

実は、ここから見える風光明媚な景観と、日露戦争の勝利から36年後に始まった真珠湾攻撃とは深いつながりがありました。今からちょうど69年前、旧海軍航空隊は錦江湾の地形が真珠湾に似ていることから、この地を訓練の地として選びました。九七式艦上攻撃機は城山を越えて岩崎谷を抜け、わずか高度40メートルで鹿児島市内に入り、山形屋デパートを左に見て、更に高度20メートルという海面すれすれの超低空飛行で途中に浮かぶ標的のブイを通過し、そのまま桜島の斜面に沿って急上昇する必死の猛訓練を繰り返し、こうしてパイロットは腕を磨き真珠湾に向かっていきました。

太平洋戦争開戦時の日本の首相は東条英機。アメリカはフランクリン・ルーズベルト大統領です。戦争には絶対に参戦しないと公約しながら、彼の本心は日本を戦争に引きずり込み、いやおうなしに米国民の世論を『戦争やむなし』に導くことでした。ブロック経済により、欧米は手を組んで、日本に鉄鉱石や石油などの近代工業に必要な戦略物資が全くは入らないように経済封鎖をしてしまいます。アメリカ側の事実上の最後通告であり、それまでの日米交渉の経過を完全に無視したハルノートを突きつけられていた日本は、資源確保のために東南アジアへ進出せざるをえない状況になってしまいます。昭和天皇や海軍始め、多くの人が開戦の直前まで衝突回避のための賢明の努力を続けていました。

真珠湾攻撃の騙し打ちは、映画パール・ハーバーでも当然のごとく描かれていますし、アメリカ人は勿論のこと、殆どの日本人も騙し討ちを信じて疑いません。日本の真珠湾攻撃を米国が事前に知っていたことは有力な手がかりとなるマッカラムの覚書の発見や、ロバート・ティスネット著書『真珠湾の真実』や多くの書物に書かれているのでここでは触れません。ルーズベルト大統領の娘婿のカーチス・ドール氏は、ルーズベルトはよく家族の会食の席で『私は決して宣戦はしない。私は戦争を造るのだ』とその著書『操られたルーズベルト』に書かれています。また、真珠湾攻撃の前日、ルーズベルトは『真珠湾は明日攻撃される』とカーチス・ドール氏に漏らしています。ルーズベルトは戦争の途中で急死したことになっていますが、ヤルタ会談の少し前に別人と入れ替ったと信じる人は少なくありません。ヤルタ会談でのルーズベルトをスターリンは全くの別人のようだったと後に漏らしていますし、別人であったことを暴かれないためでしょうか、ルーズベルトの墓だけが、なぜか歴代の米国大統領の墓の中で唯一今でも憲兵に守られているのです。

真珠湾攻撃は、宣戦布告を米国にしなかったために日本は騙し討ちをしたとして米国民の怒りを買いますが、連合艦隊司令長官の山本五十六始め、パール・ハーバーへ攻撃したパイロットたちは、後にこの作戦が騙し討ちと呼ばれるなどとは夢にも思っていませんでした。日本は真珠湾攻撃の前夜に米国に宣戦布告、即ち国際法に乗っ取って国交断絶の通知をすることになっていたにも拘わらず、当日の夜ワシントンの日本大使館は当直も置かずに全員出払い同僚の送別会に出席していました。結局このために、米国に大使が国交断絶を手渡したのは真珠湾攻撃が始まって一時間も過ぎた後になりました(実はこれも米国の陰謀でした)。結果的に、卑怯なだまし討ちに感情を逆撫でされた米国民は一瞬にして参戦を支持するようになります。当時日本大使館の全員の名前は分かっていますが、外務省はその事実を最近までひた隠しにしていただけか、当事者たちは最高で勲一等を、一番日米開戦を望んでおられなかった昭和天皇より拝受されています。

ところで、正式な終戦は8月15日でなく、東京湾に停泊中のミズリー号の甲板で日本の降伏文書の調印が行われた9月2日が正式な終戦です。この時マッカーサーはペリーが浦賀で戦艦に掲げていた星条旗をわざわざ取り寄せミズリー号の甲板に掲げるというあくどい演出までしています。実は、日本はこのポツダム宣言を昭和20年7月下旬には受け入れ戦争の終結、即ち、敗北し降伏準備を進めていました。このことは連合国側も伝わっており、原爆を使用しなくても日本が降参することは時間の問題だったことは明白でした。

終戦当日のニューヨークタイムスには、ドイツに対しては、ドイツ人は優れた民族だから、ナチスだけを取り除けば、この国は再建できると書かれ、一方、大きなナマズの化け物として描かれた日本の上には、その化け物の牙を抜く米兵が馬乗りになっています。そして、怪物は倒れたが、まだ死んではいない。この怪物の牙と骨を徹底的に抜きとり、とどめをささねばならない、これから始まるこの作業は戦争に勝ったことより難しいが、世界平和のために、断固としてこの作業をアメリカは断行せねばならないと社説に書かれてあります。これからわかるように、原爆投下は戦争を終結するために使用されたのではなく、人種差別以上に、日本という国の存在自体に対する根深い危機感の現われでした。

当時の米軍関係者や原爆を製造した科学者の中にも、原爆を使用するにしても、施設だけを標的にし、民間人を巻き添えにするべきではない。また、投下地点も市街地ではなく、東京近郊の海上に投下し、その破壊力を日本に見せつければそれで良しとする考えもあったにも拘わらず、米国は軍事施設がない市街地に、しかも広島にはウラニューム製、長崎にはプルトニューム製の全く異なる2種類の原爆を投下しました。日本人にしてみれば信じたくないことですが、原爆は最初から実験であり、終戦当日のニューヨークタイムズにもあるように、民族の精神性の破壊のために使用されています。

日本は、ソ連との間で交わされた『日ソ中立条約』を頼りに、ソ連に終戦条件の緩和を連合国側に働きかけるよう要請していましたが、ソ連からの返答が(故意に)遅れて、ポツダム宣言を受託する時期が延びてしまいました。これは原爆を落とすために、ソ連が秘密裏に米国と結託して意図的に日本への返事を遅らせたものでした。結局、原爆を落とされても辛抱強く待ったソ連からの返事は、日ソ中立条約の一方的な破棄と対日宣戦布告で、ソ連は火事場泥棒ごとく8月8日からほんの一週間だけ一方的に参戦しただけで満州並び北方領土を手に入れました。ロシアの子供たちは、この時濡れ手に粟で手に入れた北方領土のことを学校の授業で教わることはなく、北方領土は太古からロシアに帰属する領土だと信じて疑いません。

米国は原爆で広島と長崎合わせて30万人の命を一瞬にして抹殺させた歴史上最悪の罪から世界の非難をかわすために、どうしても『日本は30万人の人間が殺されるに値する悪い奴らだ』との世論を作る必要があり、そこで沸き上がったのが30万人を日本兵が虐殺したとされる『南京大虐殺』でした。東条英機らA級戦犯が南京大虐殺という言葉を耳にしたのは東京裁判の時が初めてでした。A級戦犯に祭り上げられた東京裁判は、日本側弁護団のオーストリア人のブレイクニー弁護人は、11人の裁判官全員が戦勝国側で構成されていることと、東京大空襲で、綿密な計画のもとに10万人の非戦闘員を焼き殺し、広島と長崎で一瞬にして30万人の命を奪った国際条約違反も甚だしい米国が裁判をする資格があるのかという発言を始めました。すると弁論を止められないウエッブ裁判長は、同時通訳をストップさせ、日本語速記録には記載させませんでした。

東京裁判では、被害者であるアジア人たちに対する犯罪行為に対して加害者として日本が裁かれました。日本がアジア諸国を侵略し、搾取し、虐殺したことになっていますが、終戦のその時まで連合国の殆どがアジアの国々を何世紀にも渡って植民支配していたことについては、決して裁判で触れられることはありませんでした。ぬれぎぬを着せられたまま、文句一つ言わずに絞首刑台に登っていった戦犯の遺品や遺骨は残された遺族の元に戻されることはありませんでした。

さて、過去の大戦で亡くなった殆どの人は戦死すれば靖国神社へ行けると信じて戦友とも最後の別れを交わしました。実家で仏式のお葬式を挙げても、地方は招魂社(しょうこんしゃ)に、国は靖国に祀(まつ)ってくれるから命をかけることができたのです。これは日本という国と英霊との究極の約束であり、それを今さら憲法や諸外国への配慮などを理由に8月15日に靖国参拝を取りやめるなどは、英霊たちと交わした約束を一方的に反古にすることになります。更に、国として英霊に対して最大の感謝の意を捧げるという行為がなければ、もし、将来日本が何らかの形で戦争に巻き込まれた時(戦争は外交手段の一つ)、一体誰が命をかけて国を守るのでしょうか。

残念ながら、中国や韓国の国定教科書は歴史が歪曲され、日本を誹謗中傷する内容で溢れています。これらの教科書で教育されてきた方々や、極端な中国寄りのことしか載せない朝日新聞を始めとする国内メディアに洗脳された日本人が、新しい歴史教科書、靖国神社参拝、従軍慰安婦などの問題を正しく判断できる訳がありません。欧米諸国が一番恐れる新アジア共栄圏。それは中国や韓国と日本が胸襟を開き手を取り合うことから始まります。

これから世界は、想像を絶する厳しい景気後退と急激な異常気象、そして大規模な戦争を経験することになるでしょう。この混乱こそが、アジアの国々が共に手を携えて一つになるチャンスであり、過去のしがらみと決別して同じ目標を持つ最後の機会になります。日本が周りにある国々と、同じ目標を持って厳しい試練に打ち勝った向こう岸には、欧米の奪略的資本主義に変わる新しい価値観を発見することになるでしょう。

 

拝 Rocky Tamotsu

 




 



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