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Rocky's eye No10 「英霊がくれた奇跡」

横山秀夫さんが書かれた、「出口のいない海」は、太平洋戦争時、回天特別攻撃隊で出撃した若者の姿が描かれています。市川海老蔵さん主演で映画も作成されましたが、映画のHPには、「甲子園の優勝投手・並木浩二は、明治大学進学後に肩を痛めて自慢の速球が投げられなくなり、「魔球」と名付けた新しい変化球の完成に復活をかけます。しかし、太平洋戦争勃発。並木をとりまく状況は日ごとに激しさを増していく。 愛する家族や友、そして恋人と別れて海軍に志願する並木。そこには彼と同じく、大切な人たちを守るために戦うことを決意した若者たちがいた。日本の敗戦が日に日に濃厚になっていくなか、海軍は”回天”を開発する。脱出装置のない定員1名の回天に乗って敵艦に激突するというこの究極の任務につくことを、並木を始め多くの若者たちが自ら望むのだった。けれども彼らの胸に迷いや怒り、悲しみが微塵もないわけではない。若者たちを乗せた潜水艦は海へと潜り、そして遂に出撃の時が訪れる……。」と紹介されています。

実は、「出口のない海」の主人公並木以外にも、野球をこよなく愛した特攻隊員が存在していました。出撃の直前までキャッチボールをしていた石丸進一です。石丸進一は、戦前佐賀商業高校から中日ドラゴンズの前身の名古屋軍に入団し、2年間でノーヒットノーランを含む37勝をあげつつも、24歳の若さで特攻隊員として沖縄の海に散った幻の大エースでした。

実は、鹿児島県人と佐賀県人には今でも忘れられない甲子園の試合があります。石丸進一投手の母校佐賀商業は平成6年の夏の甲子園で優勝しました。実は、この年の佐賀商業は県大会でもシードされない弱小チームで、選手たちもまさか県大会でさえ優勝できるとは夢にも思っていませんでした。それが甲子園では『神がかり』とか『強運』と言われ続けながらな決勝戦で前評判ナンバーワンの鹿児島の樟南高校と対戦します。

結局9回裏に佐賀商業が同点に追いつき、10回に奇跡の逆転劇を演じて見事優勝します。監督自身も優勝は「奇跡」だとインタビューで答えていますが、実は、この年石丸進一投手が亡くなってちょうど50年目に当たり、佐賀商業ナインは、佐賀県代表になったことの報告と甲子園での晴れ舞台の健闘を石丸進一投手の墓前で誓いました。そして、石丸進一投手の果たせなかった甲子園優勝の夢を果たしてあげたいと、石丸進一投手の姪子さんは『ピンチになればおじさんがピッチャーに乗り移って助けてくれる』といって石丸投手の写真をもって甲子園のスタンドから選手たちを見守っていたのでした(この場面は当時NHKでも放映されました)。

さて、知覧陸軍特攻基地の近くで、隊員たちに憩いの場とされた富屋食堂を営み、隊員たちからお母さんと慕われた鳥浜トメさん。彼女は、戦時中にこじらせた腹膜炎の後遺症が戦後悪化して、家族も自身も『もうこれまでか』と思っていたのが奇跡的に治ってしまいました。多くの隊員たちがトメさんに、『お母さん、僕の残りの命をあげるから長生きしてよ』と言い残して飛び立って行ったからでしょうか。53歳の時に子宮ガンになった時も、諦めて全く治療をしなかったにも拘わらず、ガンの痕跡が消え、後に車にはねられ地面にたたきつけられた時もかすり傷ひとつしませんでした。

トメさんが亡くなった平成4年。当時石原慎太郎衆議院議員は、宮沢総理大臣にトメさんの国民栄誉賞を推薦したところ、宮沢首相は『そんなことすると、きりがない』と、あっさりつっぱねたそうです。石原慎太郎議員は内心『きっと英霊の罰があたるぞ』と思ったそうですが、案の定その直後、宮沢内閣は野垂れ死に。自民党も結党以来続いた一党支配の終焉を招いてしまいました。

数年前に長崎県川棚町にある「特攻殉国の碑」を訪れました。=碑文には下記の内容が刻まれています= 「昭和19年、日々悪化する太平洋戦争の戦局を挽回するため日本海軍は臨時魚雷艇訓練所を横須賀からこの地長崎県川棚町小串郷に移し魚雷艇隊の訓練を行った。魚雷艇は魚雷攻撃を主とする高速艇でペリリュー島の攻撃、硫黄島最後の撤収作戦など太平洋、印度洋に活躍した。更にこの訓練所は急迫した戦局に処して全国から自ら志願して集まった数万の若人を訓練して震洋特別攻撃隊、伏竜特別攻撃隊を編成し、また回天咬竜などの特攻隊員の訓練を行った。震洋特別攻撃隊は爆薬を装着して敵艦に体当たりする木造の小型高速艇で7千隻が西太平洋全域に配備され、比国コレヒドール島沖で米国艦船四隻を撃破したほか沖縄でも最も困難な状況のもとに敵の厳重なる警戒を突破して特攻攻撃を敢行した。

伏竜特別攻撃隊は単身潜水し水中から攻撃する特攻隊でこの地で訓練に励んだ。今日焦土から蘇生した日本の復興と平和の姿を見るとき、これひとえに卿等殉国の英霊の加護によるものと我等は景仰する。ここに戦跡地コレヒドールと沖縄の石を併せて、ゆかりのこの地に特攻殉国の碑を建立し遠く南海の果てに若き命を惜しみなく捧げられた卿等の崇高なる遺業をとこしえに顕彰する。」

明治維新回天の業に殉じた人々の御霊を鎮めるために明治2年に東京招魂(しょうこん)社が建立され、後に靖国神社に改称されました。ここには戊辰の役で亡くなった3600名の戦死者を始め、西南の役の官軍1万6千名、日清戦争で戦死した2万人、日露戦争で戦死した20万人や、大東亜戦争、それ以外にも吉田松陰、坂本龍馬、沖縄のひめゆり部隊など、国内や外国との戦争に殉じた、合わせて2,470,000の御霊が御祭神として合祀されています。

「出口のない海」はフィクションです。しかし、「特攻殉国の碑」にもあるように、震洋特別攻撃隊、伏竜特別攻撃隊の多くの特攻隊員たちが、日本の未来と引き換えに、自らの命を国の御盾としたお陰で今日の日本に平和と繁栄がもたらされています。一見混迷の極みにある日本。しかし、首相は勿論のこと、天皇・皇后陛下が靖国神社を公式参拝し、そして、いつの日か国民一人ひとりが心の中で英霊に手を合わせたその瞬間、甲子園で、そして知覧で起こった奇跡を日本は体験することになるでしょう。

 

拝 Rocky Tamotsu

 




 



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